しかし まぁ 何やねぇ~
きょうは何か寒~い・・・
金曜日に長女が泊りに来て、今日は次女が来る。一緒に来れば手間が省けるのだが、本人達の御都合もあり、そう
親の勝手ばかりも言っていれない。
開口一番、木曜日からカナダ行ってくるわ! と次女・・・ 近くなったとは言え鶴橋に焼肉食べに行く感覚かい?!
どうもカナダの各州に友人がいて、泊り渡る計画のようだ。流石に若い! 家元などはカナダはおろか飛行機に乗って
移動する事自体がimpossibleな事で、免責費用を払ってでもご免被りたいしさほど行ってみたい所も見たいものも
無い。あえて言うなら父達が死ぬまでに一度見た方が良いと言うパラオの夕日位なもので、他に今は興味が無い。
このパラオ諸島は第一次世界大戦後、日本の委任統治領として帝国海軍の軍港があり多くの日本人も生活していた。
敗戦間際、連合軍の総攻撃を受けるに際し現地人が日本軍と一緒に戦うと申し出たが、時の守備隊長中川大佐が
「天皇の赤子である皇軍が、野蛮な土人と一緒になど戦える訳が無い!!!とっとと島を出ろ!!!」と一喝した。
現地の人達は、今まであんなに親切にしてくれた日本兵が手のひらを返すように野蛮人扱いした事に気を落とし
泣く泣く日本軍の手配した輸送船に乗り傷心の想いで島を後にする事になる。
船がゆっくりと岸壁を離れ沖へと進路を変えようとした時、マングローブのジャングルの中から、中川大佐以下
守備兵約10000人が砂浜に整列し一斉に去りゆく船に敬礼したのだ。
小さくなって行く島を見つめながら、自分たちを逃がす為に物資の不足する中、民間人の為に船を手配しキツイ事
を言った中川大佐に熱い感謝の想いを抱き涙した。事実この戦闘での民間人の死傷者はゼロであった。
玉砕後、戻った島民は連合軍に放置され、そこかしこに散らばっている日本兵の屍を手厚く葬ったと言われる。
そんな逸話を聞きながら、パラオの夕日はワインの色がすると言った父や叔父や祖父が見た夕日を一度は見たいと
子供心に想像していた。そんな思いからパラオなら行ってもいいかも知れない。
家の掃除なんかもしてもらった手前、メシでも食わさねば~ しかし日曜日・・・天満辺りへとぶらぶらする。
最近よく見かける「とっつぁん」の寿司屋(写真なし)と海鮮居酒屋をはしご~ 何せ安い!

てんぷらゴロゴロ~大根おろしはご自由に。。。せこがに350円は驚異的だがこれでは魚屋やがな~

食べやすいように内子と外子を甲羅に外す。。。

その上に奇麗に取り外した身を乗せて完成。。。これで1200円~

他にも何か注文したような気がするけども、ハシゴなんで記憶にないしカメラに無い・・・
ほんじゃぁ気を付けてカナダに行って来て下さい~~~
おまけ~~いたずらミーシャ。。。
スポンサーサイト